どうも!
元ペットショップ店員、元不動産営業 宅地建物取引士の,comma,です!
今回は、『14歳の修学旅行』を思い出して書いていきたいと思います~Σ(・ω・ノ)ノ!
今回は、第二章です。
それではいってみよう~(‘◇’)ゞ
第二章 【地獄】
喉に違和感を覚えたまま眠りについた。
明日には、治っているだろう。
大丈夫、今日滑れなかった分、明日は滑ってやるぞ。
そんな気分で眠りについた。
朝になり同じ部屋の同級生たちが続々と起床して、
顔を洗ったり、トイレに行ったり、着替えたりしている。
私は………動けない。。
布団から起き上がろうにも起き上がれない。。
身体がまったく動かない。
そして、何よりも絶望的にしんどい!!!( ゚Д゚)
異変を感じた同級生が先生連中を呼んできてくれ、
自力で歩くことができない私は、車椅子に乗せられていました。
ちくしょう。なんでなんだ。
スキーでリフトに乗って、滑り下りてきた回数なんて5回も滑ってないのに!
そんな怒りが湧いてきましたが、後の祭り。
今日も、インストラクターに付きっきりであいつは、
下まで滑り降りてくるんやろな。
どんだけ滑り終えるのに時間がかかっても、スキーを
楽しめてるんやもんな。
羨ましい。
羨ましい。
そんな気持ちで、教員におんぶをしてもらっている記憶、
車椅子に乗りうなだれている記憶はありますが、
それ以外、どうなったのかはあまり記憶がないです。
後日、聞いたのですが、私以外の同級生も
体調を崩した者が数名いたらしいですが、安静にしていれば
回復したらしいです。
私はと言うと、、、修学旅行の2日目に高熱、そして動けない状態。
学校側もどうしたものかと考え、親に連絡したのでしょう。
この私の状態からすると間違いなく
「インフルエンザ」( ;∀;)
であり、他の生徒にうつしてしまう恐れもあったので、
学校側もどうすることも出来なかったのでしょう。
長野のホテルで撃沈している時、なんと両親が長野まで迎えにくるといった
事態に発展していました。
修学旅行の早退です。
修学旅行を途中で帰ることになりました。
鹿のいる県から、わざわざ親が迎えにきました。
この時の記憶で覚えていることを書いていきます。
親が迎えに来て、確か病院に行き座薬をおしりから入れるとなりました。
四つん這いになり、看護師のおばちゃんが
「はぁ~い!今から入れるから力抜いてね~」
って言っておしりに解熱剤を入れようとするのですが、中々入らない。
看護師のおばちゃんが
「あれぇ~中々、入らないね~。力抜いてね~」
四つん這いになる私。
座薬をおしりから入れる看護師。
冷静にその光景を眺める母。
まさに思春期真っ只中の14歳の少年にとってみれば、地獄のような時間でした。
何度も何度もおしりから座薬を入れようと試みる看護師のおばちゃん。
「入らないね~。入らないから、点滴しましょうか~」
おいおい。入らないのではなくて、入れてくれ。
この状況を自分の母に見せただけの時間になるのではないか。
諦めないでくれ!!
そう思うも声が出ないくらいの状態でした。
「う~ん。入らないね~。
入らないから、点滴しましょうか~」
どういうことだ。長野まできて、インフルエンザのかかり
四つん這いになり、座薬が入らない姿を母にマジマジと見られ、
どうなってるんだ。それを考えただけでもパニックになりそうだった。
パニックになりそうな自分を落ち着かせ、パンツを上げて点滴をしてもらうことに。
点滴をすれば体調もよくなるだろうと思い、藁にも縋る思いでした。
しかし、点滴でも問題が発生します。
血管が見つかりにくいとのことで、なんども針をブスブス。
これは高校生、大人になってからも言われます。
高校の献血の時ですら
「今日は血管が見つからないから~また今度ね~」
と言われる有様。
その血管が見つからないと初めてわかったのが、この日だったのです。
本来ならば、肘の内側から行うも断念。
手の甲からするか、足の甲からするかといった話になっていました。
結局、手の甲から点滴をすることに。
点滴を受けて、タクシー乗ってそのままホテルで一泊した記憶があります。
そして、翌日、鹿のいる関西地方へ帰るのでした。
自宅に戻ってから、再度病院に行って自宅で療養。
2週間ぐらいは学校を休んだと思います。
回復して、学校に行くと皆からの視線を感じます。
皆、同情したような視線を向けてきます。
「大丈夫やった?」
そんな質問ばかりが飛んできます。
大丈夫なわけないやん。
スキーも全然滑れんくて
修学旅行の2日目でインフルエンザで倒れて、
親が長野まで迎えに来て、
長野のクリニックで、座薬がなかなか入らんくて、
その様子を母親に
見られてて、大丈夫なわけないやろ!!!!( ;∀;)
って心の中で叫んではいたものの実際は、
「大丈夫、ありがとう。楽しかった?」
こうお決まりのフレーズを返し、無難に事をおさめにかかりました。
修学旅行とか遠足に行った時に、誰やこのおっさん?
っていうおっさんが同行しています。
このおっさんは、写真屋のおっさんで思い出の写真を撮影してくれて
修学旅行、遠足が終わった後に、おっさんが撮影した写真が
校内に張り出され、欲しい写真を購入できるようになっていました。
私が学校に行けるようになってから、旅行の写真が張り出されました。
その写真を見ると、虚しさが押し寄せてきます。
私が写ってる写真は1枚のみ。(笑)
スキーのグループで撮影した写真のみで、後に配られる卒業アルバムの
修学旅行の部分には、私が写っている写真は一枚もありません。
悲しすぎる。( ;∀;)
皆が楽しんでいる写真を眺めても購入する写真がない。
しかし、私は写真を購入しました。
この虚しさを晴らしたい!!!
その思いで、学校のかわいい子が集まっている写真があり、その写真を購入。
この写真は、4名の女子が写っており、4名の女子が1枚ずつ購入すれば、
4枚しか売れないはず。
しかし、その4名の女子が写った写真は売れ行きが好調で、
購入する男子が多かったようです。
ちなみにその女子の写真は、卒業アルバムにも掲載されていました(*_*)
私の修学旅行の思い出。
まさに地獄。
その1年後、さらなる地獄が私を飲み込もうとしているとは
いざ知らず、購入した女子の写真を眺めるのであった。
【14歳の修学旅行】 完
あとがき
修学旅行を途中で切り上げるなんて、今考えると人生のネタとして
最高の出来事だったな。と思います。
当時は、悲観的な感情しかなかったですが…。
中学の3年間は呪われているんじゃないかと思うぐらい、
悪い事ばかり起こりました。
この修学旅行の1年後にさらなる事が起こります。
その出来事についても書いていきたいと思いますし、
沖縄のことについても書いていきたいと思います。
ではこの辺で~
モグランキ~👋
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