どうも!
元ペットショップ店員、元不動産営業 宅地建物取引士の,comma,です!
今回は、『15歳の挫折』と言うタイトルで書いていきたいと思います~Σ(・ω・ノ)ノ!
前回の『14歳の修学旅行』の続きみたいな感じです。
もちろん!実体験の話!
それでは行ってみよう!!
15歳の挫折 【第二章 連鎖】
顧問の先生(以下、Y先生)が人事異動で学校を去り、
新任の顧問の先生(以下、H)が来ました。
異動したY先生は、とにかく厳しかった。
野球だけでなく勉強においてもしっかりやるようにといつも言っていました。
Y先生がグランドに現れただけで、空気が一瞬にして凍るような感じ。
「あぁ~もう出てきたんかよ。
今日出てくるのめっちゃ早いやん(;´Д`)」
と同級生と言いながら、直立不動で挨拶をする日々でした。
Y先生の指導のおかげで、県大会でも優勝することができ、
強豪校へと成長したのです。
そんなY先生が異動し、違う中学校に行き、チームメイトの心に
ポカンっと穴が空いたようになりました。
春の県大会は、目前にせまっていました。
新任のHは、Y先生より若く新米教師といった印象でした。
大学でも野球をやっており、野球に関しての経歴は確かなものだったと
思います。Hが野球部の顧問になり、グランドに出てきて、自分たちの練習を
見ているのですが、その時、信じられない光景を部員は目にするのでした。
ベンチに座っている
Hがタバコを吸いながら(-。-)y-゜゜゜
練習を見ていたのです。
Y先生の時は、そんなことはありませんでした。
Y先生は非喫煙者でしたし。
その光景に、部員たちは
「あいつなんやねん。
なんでタバコ吸うてんねん。あほちゃう( `ー´)ノ」
そんな風に口々に言うようになりました。
Y先生が異動したショックとHの指導態度に15歳の少年たちの心は
乱れていったのです。
Hは今までやっていた練習方法を大きく変えようとしました。
バッティング練習一つにしても、大きくやり方を変えようとしたのです。
私たちは今までやってきた練習方法で結果を残してきましたし、
そんなタバコを吸いながら、練習を見ている人の練習のやり方なんて
受け入れることなんてできるか!!!って反抗心バチバチでした。
一応、練習方法は言われたとおりに行いますが、やる気は0。
声も出さないし、常にダラダラ。
こんな姿をY先生が見たら、速攻で鉄拳制裁されるであろう態度。
その部員のやる気なさについて、Hは声を荒げて怒ります。
「お前ら!!ダラダラすんな!!
しっかり声出せ!!!」
そんな風に言われても後の祭りです。
『黙れよ!お前の言う通りになんかするか!!!』
部員が口々に言いだします。
そんな日々が続き、春の県大会も迫ってきました。
私たちは、Hに指揮してほしくない。とY先生の監督時代から
部長を務めるC先生に言いに行きました。
我慢の限界が来ていたんですね。
とりあえず春の県大会は、C先生が指揮をとることになり落ち着いたのですが、
部長と言う立場で、日々練習にも参加していないので、いきなり指揮をとっても
うまくいかないのは目に見えています。
秋の県大会で4番を打っていた部員を春の県大会で8番に降格させ、
その降格させられた部員がやる気をなくし、試合に身が入らないことなどが
起こりました。春の県大会では、一回戦はそこまで強くない学校だったので
快勝することができました。
地方新聞には、
「○○中学校、快勝!!終盤突き放す!!!」
ってな感じで、大きく取り上げられていました。
これは、昨夏、昨秋と県大会を連覇ており、注目度が高かったからだと思います。
しかし、幾ら新聞に取り上げられても、日々の練習に戻ると指揮をとるのは
Hで、C先生は試合限定で指揮をとうような形でした。
部員の士気も上がらず、2回戦を迎えます。
2回戦は、比較的強豪校です。Y先生が指揮をとっていても苦戦し、勝つことが
難しいのではと思わせるぐらいの学校でした。
そんな学校が相手で、今の部員の士気で勝てる訳がありません。
案の定、完敗。私の記憶が正しければ、ノーヒットノーランをくらったと思います。
この敗戦で、一気に部員の士気は下がることになります。
もう部活に来ること自体が、億劫になってきていました。
もちろん、私もやる気0でした。
当時、三塁手以外に投手もやっていたのですが、Hに
「毎日、グランド10周走れ!」と言われました。
私は、言われた日に2周だけ走ってやめました。
それ以降、グランドの周りを走ることはありませんでした。
この時、私の気持ちとしては、一刻も早く引退したい。
早く夏の大会で負けて、野球部を引退したいとの思いが強かったのです。
Hが指揮をとり練習試合も何度も行いました。
やる気なんて全くありません。
投手をしていた時、スリーアウトチェンジになり、外野からボールが
転がってきました。そのボールを私は、足で止めたのです。
それを見ていたHは、大激怒。笑
「お前何してんじゃ!!!
えぇ加減にせぇよ!!!
何、足使ってんじゃ!!」
って具合にね。私の心には何も響きません。
無視してベンチに帰るだけです。
練習試合でも、実力が普通ぐらいの学校ならこんなチーム状況でも
勝ててしまいます。個々の能力が高かったからでしょうか。
そんな日々が続き、夏が近づいてきました。
私を含む3年生部員は我慢の限界を超えていました。
「もうHじゃ無理やろ。やめさせようぜ!!」
そう部員で話合い、Hに直談判しに行きました。
「もうやめてもらえませんか。
変わりにC先生に監督してもらいたいので。
もう本当にやめてください!!」
部員の一人がそう告げました。
長い沈黙があり、Hは部員の言うことを持ちかえるとなりました。
その後、C先生が3年生部員を呼び出し面談を行いました。
面談と言う名の説得です。
あくまでC先生は、自分が顧問(監督)をするのではなくHに顧問を
任せたいという考えでした。
その説得に押し切られる形になり、Hは引き続き顧問として
チームを指揮することになりました。
これだけチームがバラバラになっているのに、Hはこちらに
歩み寄ることはなく、自分独自の考えで練習メニューを作り
実行するように指示を出してきます。
あからさまに練習をさぼるようになったのは、私を含め5,6人の
部員でした。あからさまに練習をさぼっていても、練習試合になると主力として
試合に出場して、試合には勝ったりしていました。
あからさまに練習をさぼっているのは、5,6人ですが
練習に身が入っていないのは3年生全員でした。
そんな状態が続き、夏の県大会出場をかけた予選が始まろうとしていました。
公式戦前には背番号の配布があります。
この時、エースを務めていたK君が故障で、試合で投げることが
できていませんでした。その代わりに私が投手として試合に出場していました。
なので、背番号は間違いなく「1番」が貰えるものだと思っていました。
練習終了後に背番号の配布がHからありました。
「1番 K!」
一瞬、周りがざわつきます。
「え、試合に出てないのに…。」
私の背番号は、新チーム開始からずっと「5番」でした。
そうか。今回も5番なんだなと思っていました。
2番、3番と順に名前が呼ばれていき、4番の背番号を呼んだ瞬間、
空気が変わります。
「4番N!!」
N君のポジションはライトで、控え選手でした。
そのN君が背番号4番!!?
N君自身も困っていました。
そして、本来ならば4番の背番号を貰うはずであったO君は放心状態。
そして、背番号5番の発表されました。
「5番T!!」
そうです。私の名前は呼ばれませんでした。
私の背番号は10番。
レギュラーでHの指導に反抗的な態度をとった部員は、
全員背番号2桁でした。
今、大人になって思うことは背番号が2桁になるのは当然のことだと
思います。練習もさぼっていましたし、チームの士気を下げる発言なども
していましたから。
しかし、当時15歳の私たちは、こう思ったんです。
「やってられるか。こんなんやったら、
すぐに予選で負けて引退しようぜ!」
未熟だったと思います。
そして、精神的に不安定な状態で
夏の県大会出場をかけた予選が始まるのでした。。。
15歳の挫折 第二章 連鎖 完
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