沖縄移住計画ブログ【15歳の挫折 第三章 挫折】

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どうも!

元ペットショップ店員、元不動産営業 宅地建物取引士の,comma,です!

今回は、『15歳の挫折』と言うタイトルで書いていきたいと思います~Σ(・ω・ノ)ノ!

もちろん!実体験の話!

それでは行ってみよう!!

第三章 挫折

夏の予選が始まりました。

試合に出ているのは、背番号が二桁の選手が半数を占めていました。

私は投手で試合に出場していました。

県大会の予選で負けることなど考えられなかったので、

公式戦という感覚や負けたら終わりといった感覚ではなく

練習試合のような軽い気持ちで試合に臨んでいました。

試合に勝ち進み、決勝までいくとY先生が新しく就任した

学校と対戦する組み合わせでした。

もちろんY先生の学校も勝ち上がらなければなりませんが。

軽い気持ちで試合に出場し、勝ち上がっていきました。

そして決勝戦。

相手は、Y先生が率いる学校でした。

準決勝で登板していた私は、控えでした。

私の当時の感覚としては、私が投手をしている時は、T君が三塁手でした。

私が投手として試合に出場していない時は、私が三塁手を務めた方が

チームの戦力が上がるのにと思っていました。

現にT君は、Y先生が指揮をとっていた時は、控え選手でしたし、

女にうつつを抜かして目立った努力もしていませんでした。

何故、Hが指揮をしている時に試合に出れていたか。

おそらくHは、自分に歯向かわない、大人しい選手を好んでいたと思います。

これはあくまでも当時の私の考えでです。

この決勝戦に進出した時点で、県大会の出場権は得ていました。

しかし、Y先生に自分たちの野球を見てもらいと思い、この決勝戦だけは

3年生部員の気持ちはバラバラではなく、一つになっていたと思います。

試合結果は、私たちの学校が圧勝でした。

試合中のY先生の表情はものすごく険しく、自分たちの今までの練習態度や

Hへの引退勧告などのイザコザを全て見抜いているのではないかと思うぐらいの

鋭い目つきで、私たちの方を見ていたのを私は覚えています。

こうして県大会への出場権を得て、また練習が始まるのでした。

予選後も、練習に身が入ることはありませんでした。

キャプテンを務めていたS君には

「県大会で一番強い学校、引いてこいよ。

早く引退したいねんから」

など冗談半分、本気半分で私を含めたやる気のない3年生連中が言っていました。

そして、抽選会が終わり対戦相手が決まりました。

後に対戦した感想としては対戦相手は、10回戦って8,9回は

勝てるような学校で、しかも開会式後の開幕戦でした。

しかし、当時はその対戦相手の情報は一切なく、名前を聞くのも初めてでした。

とにかく名前も知らんけど、一番大きな市から出場してる学校やから強い。

っていうのが皆の考えでした。

私達は、対戦相手を聞いた後、学校の廊下で

「これでやっと引退できるわ~。

はよ負けようぜ!!」

って声を荒げたことを覚えています。

その時のキャプテンS君の表情は、

【そんなこと言うなよ!!】っていうような嫌な表情でした。

今になって思います。このキャプテンのS君。

キャプテンシーがまったくなかったと思います。

もちろん私を含め輪を乱した部員が悪いのは当然ですが、

その部員に対して何も注意することもなく、チームの士気を高めることも

ありませんでした。今になってS君を批判しても何も変わらないですし

私達のやっていたことの方が、悪いので何も言えませんが、

何故、あの時、S君は何も言わなかったのか?

S君もY先生が異動して、なんらかの心境の変化があったのだろうか。

現在、連絡先も知らず仲も良くないので今となっては、真相は闇の中ですが。

話が逸れましたが、着実に県大会の開幕は近づいてきました。

大会が近づくと、新聞に参加校の紹介が取り上げられます。

私達のチーム紹介には

「夏連覇に照準!!実力校で戦力充実!!」

と言った内容が書かれていました。

チーム内の状況からするとこの見出しとは

ほど遠いチーム事情やのにな~って新聞を見た時に思いました。

そして、県大会の開幕当日。

あの日は、カンカン照りで暑かったと記憶しています。

学校から同級生が何名か応援に来てくれていましたし、開幕戦とあって

スタンドには大勢の関係者が試合を見る状況でした。

私は4番投手で出場でした。

今まで試合に出ていましたが、4番など打ったことはありませんでした。

ここまできてもHは頓珍漢なことするな。って思ってました。

とにかくHのする事、すべてに納得がいってなかったんです。

試合前に投球練習を行うのですが、その際に悟りました。

「今日の調子は絶不調だ」と。

コントロール、スピード、今までで一番最低の出来でした。

そして試合開始。

私達は先行で、初回に1点を奪います。

そして裏の守備つきました。

マウンドに上がります。バックネット裏を見渡します。

同級生の姿、全然知らない人、知っているおばちゃん、

他の出場校の生徒。そして、Y先生。

Y先生の姿を見つけた時、ドッキッとしました。

投球練習を終え、プレーボール。

先頭打者は左バッターでした。私は左バッターが苦手で、

ストライクが中々、入らない癖がありました。

その先頭バッターにいきなり四球を与えてしまいます。

そこから守備の乱れ、安打などがあり初回に2点を奪われました。

その後の攻撃で逆転、5回終了時に5対3でリードしていました。

調子は絶不調、体力はなくバテていました。

練習をさぼっていたツケがまわってきたんだなと感じていました。

試合を観戦していたY先生の表情も

「情けない試合しやがって!!

何してるんや!!!」

と言っているような表情で試合を見ていました。

何とか最終回(7回、中学野球は7回制)まで投げ抜けるかと考えていた矢先、

投手交代を命じられます。

交代した投手は、新チームからエースとして投げ続け

肘をケガしているK君。

6回の投球は全盛期を思わせるような圧巻の投球ぶりで三者凡退。

この時点で、この試合は勝ったと思いました。

そして最終回。スコアは変わらず、5対3。

ここでHが頓珍漢な采配をします。

二桁の背番号組をことごとく交代させたのです。

ライトには控え選手で背番号4番を渡されて困惑していたN君がつきました。

N君は公式戦初出場。明らかに緊張していました。

そして最終回。6回の圧巻な投球はどこにいったのかと言わんばかりに

制球が乱れに乱れます。何とかアウトは1つ取れましたが、

四球連発で、ついには同点。

しかも満塁。交代する投手はいません。

そして、バッターが振り抜いたボールは、キャプテンS君のショートへ

高いバウンドで飛んでいきました。

バウンドにうまく対処することができずにファンブル。

急いで、ボールを拾い一塁へ投げるも間に合わず。

ここで試合終了。

サヨナラ負けでした。

あれだけ早く負けて引退したいと言っていたのに。

負けた瞬間。号泣でした。

途中交代させられたライトを守っていたM君。

新チーム結成時は4番を任されており、Y先生が異動後は8番に降格になり

やる気をなくしたこともありました。

そのM君は、ベンチ前から立ち上がれず、しゃがんだまま号泣。

今でもあの光景は覚えています。

その後、どうやって家まで帰ったのか、部活が終了したあとの学校生活の

記憶はほとんど残っていません。

しばらくの間、Hの試合采配にも腹が立っていました。

私が投手を交代した時に、三塁手として試合に出ていればもっと追加点が

奪えたなど後の祭りですが、そんなことを考えていました。

実際に三塁手であったT君は、攻撃面で致命的なサインミスを犯し

チャンスを台無しにした場面があったのです。

あの時、あそこで点がとれていれば。

早く引退したかったのにこの悔しさはなんだろう。

何か悶々とした気持ちでした。

このあっけない幕切れから、部員同士の関係性も良くなく疎遠になっていきます。

そして、高校への進路を決める時期。

皆、高校を選んで受験をして合格を掴み取りました。

ほとんどの同級生は、高校では野球を辞めました。

そして、私は受験を失敗してしまいます。

卒業式の後の合格発表で不合格となります。

この受験失敗については、

【私commaについて】にて書いています。

こうして、中学生活が終わりました。

あの時こうしていれば。

この思いは今となっても思う時はあります。

しかし、過去は変えれません。

変えれるのはこれから先の人生です。

この中学時代に経験した事を忘れずに、今日も笑顔で頑張りたいと思います。

約20年前の話でした。

 

15歳の挫折 完

 

まとめ

最後の試合が終わり、Hと交流した記憶はありません。

成人後や高校時代に中学校を訪れ、Hと交流をもった同級生もいたみたいですが

私は、中学卒業以来、Hには会っていません。

Hと交流を持った同級生から聞いたのですが、Hは

「あの時は、おまえらには悪いことをしたと思っている」

など話をしていたらしいです。

その後、Hは同中学校を率いて、夏の県大会制覇、近畿大会制覇、

全国大会ベスト8まで勝ち進みました。

その部員に友人の弟がレギュラーとして試合に出ていました。

この昔の思い出を振り返り、第三章まで書いてきた中で

私はずっと『H』と書いてきました。

Hは先生です。

本来ならH先生と書かなければ、失礼にあたるとわかっていましたが

あえて文中には『H』として記しました。

H先生と記すとあの15歳の時の気持ちに嘘をつくことになるので

あえて『H』と書きました。

当時は、先生と一切、思っていませんでした。

正直な気持ちです。

今は、H先生と素直に言えますし、一緒に酒でも飲んで

あの夏のことを話したいと思ったりもします。

15歳の時の自分たちは未熟だった。

そう今となっては言えます。

今までの人生で、人のせいにしたり、

他力本願にしてきたことが多かったと思います。

この15歳の時もそうだと思います。

「Hが練習方法が悪いから!」「Hのせいで負けた」

「Hじゃなかったら近畿大会ぐらいいけた」

こんなことを昔にあった同窓会で話をしていた記憶があります。

人じゃなく自分です。

自分たちの考えで、取り組みが変わって、結果が変わったんですね。

これに気付くまでしばらく時間がかかりました。

今は、コロナウィルスの影響で沖縄にも行けませんし、

移住計画も進めることができていません。

コロナのせいにするのではなく、今何ができるのか、

未来に向けてどうすればいいのか、前向きに考えていければと思います!

自分の中では、悔しい思い出ですが、振り返ってみて良かった思います。

これからもブログは続けていきますので、

よろしくお願いします!!

それでは、この辺で~

モグランキ~👋

 

 

この記事を書いた人
comma

沖縄が好きで、好きでたまらなく
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主に沖縄での日常について書いています☆
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